時間の使い方

「忙しい」という字は、「心」を「亡くす」と書きます。仕事、付き合い、家事、育児、受験勉強、趣味、習い事など、心を亡くす程いそがしい日本人は少なくありません。いそがしく働いていると確かに充実感のようなものはあるかも知れません。でもそれが終わったときどうなるのか、少し立ち止まって考えてみませんか。


四種類の時間

時間の使い方は、一度しかない人生の最大の問題です。事柄を、「重要さ」と「緊急さ」から、四種類の時間に分類することができますが、これを正しく選択することが何よりも重要であるのです。


1.「緊急で重要なこと」

2.「緊急でも重要でもないこと」

3.「緊急ではないが重要なこと」

4.「緊急で重要ではないこと」


「緊急で重要なこと」と「緊急でも重要でもないこと」に関して間違いをする人はほとんどないでしょう。深刻な間違いは、「緊急ではないが重要なこと」と、「緊急であるが重要ではないこと」の間でおこります。

「いま何してる?」というメールの返事は、明日の朝では遅すぎるという意味で緊急です。でもおそらくあまり重要であるとは言えないでしょう。そのようにして、青春の多くの時間は「緊急であるが重要でないこと」のために過ぎ去っていくのです。

「緊急ではないが重要なこと」は、緊急でないため、「緊急で重要ではないこと」のために後にまわされ、そのうちに忘れ去られてしまう運命にあります。

話が少しややこしくなってきましたが、要するに時間の使い方のポイントは、「緊急ではないが重要なこと」にあるのです。


慣性の法則

理科の時間に習った「慣性の法則」によれば、動いている物体は運動を続けようとし、止まっている物体は止まっている状態を維持しようとします。電車が動くとき、電車が止まるとき、倒れそうになるのはそのためですね。

私たちの人生の中でも、慣性の法則が働いているように思えます。走っている人はなかなか止まることができず、そのまま同じ方向に走り続けようとします。一度立ち止まって考えることはなかなか難しいものです。

失敗、失恋、病気、定年退職のとき、立ち止まって考えるチャンスです。とくに忘れていた「緊急ではないが重要なこと」が何であったのかを考えるときです。

謝るべき人にと謝罪したか、書くべき手紙を先延ばしにしていないか、とくに、私たちは「何のために生きているのか」を考えるときではありませんか。存在しているだけなら、道端の石ころでも存在しています。生きているだけなら、牛や犬や道端の草でも生きています。働いているだけなら、アリやミツバチでも働いていますよ。


聖書の言葉

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」 マタイ福音書 16:26

青春の日々にこそ、お前の創造者に心を留めよ。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。 コヘレトの言葉 12:1