科学的なあなた

現代人は科学的な真理には大きな敬意をはらいます。たしかに20世紀以降、科学はそれまでの2000年分をはるかにしのぐほどの発達を遂げました。しかし科学に関しては四つの誤解を避けなければなりません。最後の二つが最も重要です。

第一は、現代人は昔の人よりもかしこいという錯覚です。現代の科学の発展は様々な科学的な真理の積み重ねの上にあることを忘れてはなりません。

第二は、第一と同じです。確かに現代人である私たちは、江戸時代や弥生時代の人々よりはるかに多くの科学的な真理を知っているでしょう。しかしそれは自分で獲得したものではなく、学校で先生から習ったり本から得たにすぎません。

第三は、科学的な真理は真理のすべてはないということです。科学的に証明することのできない真理も多くあります。母が子のために流す愛の涙と、さいふを落としたときに流すくやし涙は科学的には同じであっても、重要な違いがあるでしょう。

第四は、第三と同じです。科学的であることは必ずしも中立の立場ではありません。完全に中立の立場というものは、実は存在しないからです。神を信じるのは21世紀の人間には時代遅れなのでしょうか。もっとも科学の発達している国と思われるアメリカでは、多くの人々が神を信じて教会に毎週集っています。

神が存在することは科学的に証明できませんが、神が存在しないことも科学的に証明されたことはありません。神が存在すると信じるのも、神が存在しないのを信じるのも、どちらもある意味で信仰であるのです。


神の存在を証明することはできませんが、神の存在を暗示すると思われる二つの重要な事実があります。

第一は、人の心と良心があまりにも似ていることです。NHKの「おしん」がアジア各国で見られ、最近では韓国のドラマが日本で大ヒットしました。アメリカ映画は世界中の映画館を満員にすることができます。悪人が罰せられ、正義の味方が勝利するとき観客は満足する、という原則で映画が製作されているからです。

人間が偶然に発生した高等動物にすぎないのなら、もっと様々な種類の良心が存在しても良いのではないかと不思議です。ヒッヒッヒと笑う悪代官が最終的に善男善女を破滅させることを、ワクワクと期待しながら「水戸黄門」を見ている人はないのです。

第二は宇宙の秩序です。コンピューターの内部を見て、「こんなに複雑なものがよく自然にできたね」と言う人はいません。それを製作した人がいることを知っているからです。地球を何回も回るほどの毛細血管がはりめぐらされた私たちの体は、コンピューターよりも複雑で精巧です。大宇宙はクォーツの腕時計より正確に運行を続けています。正確な秩序の背後には、それを計画し作成した人格があると考えるほうが、すべてが偶然と考えるより合理的ではないでしょうか。


聖書の言葉

彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。 ローマの信徒への手紙 2:15

天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。 詩編 19:2(アポロ宇宙船から地上に送られてきたメッセージ)