3.情け深い人

愛の第二の定義は、「情け深い」、新改訳聖書は「親切」。「忍耐強い」と「情け深い」がセットになっています。前者は他の人の悪に復讐をしないでゆるすという愛の消極面であり、後者は愛の積極面です。愛はただじっとしているのではなく、積極的に他の人に親切にします。

「情け深い」は「親切」の消極面であり、出し惜しみをしないという意味です。自分の持ち物、自分の時間、自分の労力などを、他の人を助けるために出し惜しみをしないのです。積極的には、いつでも人を助ける準備があり、そのチャンスを逃しません。

電車の中でお年寄りに席をゆずる小さな親切を実行するのも、なかなか簡単ではありません。お年寄りと判定するかどうかも難しいのですが、突然そのような場面がおとずれると、寝たふりをしてしまうかもしれません。あらかじめそのような心構えがなければ、その他の場面でも私たちは、見てみぬふりをしてしまうのです。愛はその反対に、積極的に親切にする機会を捜すことです。

山上の説教でキリストは、「あなたの敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われました。その理由は、「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなた方のどんな報いがあろうか。徴税人でも同じことをしているではないか。」ゆるす限界を定めることが人をゆるすことにならないように、親切にする対象を定めることは情け深いことでも親切でもありません。

なぜあんなやつに親切にしなければならないのか、と思うかもしれません。その理由も人間だけを見ているときには永遠に見つからないでしょう。神は神に反逆していた私たちのために、独り子イエス・キリストを十字架で犠牲にされたのです。ここにだけ理由があります。