人の場合

人間はただ長く生きればよいのではありません。ただ健康であればよいのでもありません。健康で長生きできることが、人間として最高の生き方であるのではありません。年をとることによって、どのような人間が現れてくるかが最も重要であるのです。

大理石の中から姿が現れるためには、彫刻家のノミによって周囲の大理石が削られなければなりません。人間の場合もこれに少し似ているように思えるのです。人は生まれていろいろなものがくっついていきます。人それぞれくっついて来るものが違っています。最初からくっついているものがあり、後からくっついてくるものがあります。ある人は美しく生まれ、多くの人はそれなりに生まれます。ある人は背がすらりと高く、ある人はずんぐりむっくりに。ある人は東大から一流企業の重役に、、、などなど。そして人間の目にはそれが大きな差であるように見えます。人間の努力によることもあれば、健康と病気などその人の責任でないものもあります。それだけを見ていると、神様は世界で最も不公平なお方に思えます。

しかし年をとると、くっついてきた様々なものが、秋の落ち葉のように一枚ずつはがれ落ちていきます。お金持ちも貧乏人もあまり差別はないように見えてきます。ヨブはそう言っているのです。ヨブは当時のビルゲイツのような大富豪でした。羊が7000匹、らくだ3000頭、牛が500、雌ロバ500、そして多くの召使がいました。しかし災難が次々とヨブに襲いかかります。牛は強盗に奪われ、召使は殺され、羊で焼け死にました。そして大風で家が倒れ、七人の息子と三人の娘はみな死んでしまいます。そのときにヨブの言った言葉が、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」です。

ヨブは非常に短い期間に様々なものを失い、そしてその後、健康をも奪われ頭のてっぺんから足の先までできもので覆われ、彼のすることは朝から晩まで焼き物のかけらで体をかきむしることだけになってしまいます。

様々なものが人から奪われていく過程とそのスピードは、人によってみな異なっています。しかし、ヨブの場合よりももっとゆるやかなのが普通です。社会的な関係が一つまた一つ落ちていきます。体力も健康も失われていきます。金庫に大金が入っていても、それを使うことができなくなっていきます。

その人に最初からあったものも、後でくっついてきたものも、どちらも以前ほど威力を発揮でなくなっていきます。アイドル歌手もハリウッドの女優も、うめぼしばあさんになっていきます。普通の女性と元スーパー・モデルの差は、50年後にはそれほどではありません。

赤ちゃんのときも同じでした。チャーチルは葉巻を加えて生まれてきたのではありません。ビル・ゲイツは札束の入ったカバンをかかえてお母さんのお腹からでてきたのではありません。アインシュタインもチャーチルも生まれたとくきはみんな裸で、みんな同じようであったのです。病院の赤ちゃん室で名刺の交換をしている赤ちゃんを見たことがありません。最初はみな裸で肩書きも貯金もありません。そして、そして最後もしわくちゃになってみな同じになります。