尊敬される年寄りになるために

ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 ヨブ記 1:21


彫刻の場合

これはお年寄りだけに聞いていただきたメッセージではありません。すべての人は、もうすでにお年寄りであるか、もうすぐそうなるのか、あるいはやがてそうなるのか、どれかです。WHO(世界保健機関)の基準では、「高齢者」とは65歳以上だそうで、今年から私自身も最初のグループに入ったことになります。

若い人々は、年寄りになるまでの時間が長く、そのための準備の時間とチャンスがより多く残されています。その意味ではこのメッセージは若者のためでもあります。

話は突然変わります。彫刻家ロダンのほとんどの作品はブロンズですが、「パンセ」という大理石の最高傑作の一つがあります。ところがこの作品は女性の頭の部分だけしか掘られておらず、後は切り出した大理石のままの未完成です。ブロンズの代表作の「考える人」は世界にいくつか本物が存在しますが、「パンセ」は大理石ですからもちろん世界に一つしかなく、パリのオルセー美術館に展示されています。ちなみに「考える人」もフランス語では実はパンセです。

偉大な彫刻家ミケランジェロは、大理石をノミで削って天使の姿に仕上げていくのではない、神が大理石に埋められた姿をのみで取り出すことが彫刻家の仕事であると考えました。ロダンの「パンセ」は正にその過程を示しているようにも思えます。

体力が衰える、耳が遠くなる、記憶が薄れる、腰が痛む、膝が痛む、などなど。「老人」「年寄り」「高齢者」はどれもマイナスのイメージが付きまといます。多少の個人差はあれ、それはやむをえないことであり受け入れる他はありません。しかし「高齢者」に関してもっと重要な問題が議論されることはあまりありません。それは時間の経過とともに、どのような人間が削り出されているかという問いです。ますます高齢化していく社会にとって、医療や介護はこれからの日本の行政の特別に重要な課題です。しかし行政は人間の内面の問題まで扱うことができません。